Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident


Draft document: Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident
Submitted by Fumihiro Shida, Organisation of thinking atomic
Commenting on behalf of the organisation

記載内容(コメント記載項目)
・2.3. 人と環境の防護に関する原則の(46)
・2.3.1.防護に関する決定の正当化(52)
・2.3.1.防護に関する決定の正当化(53)
・2.3.3. 最適化と参考レベルの使用 (80)
※以上4項目についてパブリックコメントとして書かせて頂きました。書き方はまず各項目の全文を書き写し、その文章のコメントの論点となっている箇所に下線を引き、文章の下に「私の指摘」として書かせて頂きました。読んで頂きますようよろしくお願い致します。

2.3. 人と環境の防護に関する原則の(46)
事故への緊急時対応において、人の食物連鎖および人への被ばくが深刻な影響を受ける 場合には、人以外の種の防護の考慮は緊急の優先事項ではないかもしれない(ICRP,2014)。 しかしながら、委員会は、ペットと家畜を保護するために適切な措置が取られるべきであり、 また、それらの福祉を保護するために、緊急時準備計画プロセスにおいて具体的な取り決め が策定されるべきであると勧告する。さらに、人の被ばくに関する懸念が支配的な場合であ っても、可能な防護措置が環境に及ぼす影響を考慮すべきである。これは、環境媒体(例え ば土壌)を浄化するための行動の選択に関して特に真実である。というのは、これは、土壌 の有機鉱物肥沃度に長期的に影響を与え、生物多様性に混乱をもたらす可能性が高いから である。

私の指摘
この項の後半部分では人が被ばくしていても「可能な防護措置が環境に及ぼす影響を考慮すべきである」としているが、ではどの程度の防護措置による環境汚染があれば人に対する防護措置をやらない、としているのかその基準が示されていない。まず人の命を捨ててまで環境を保護する、ということに私は疑念を感じる。否、はっきり言ってしまえば、例えば人間1人が死んでも莫大な面積の土壌などの環境が守られるのであればそれは仕方がない、ということでしょう。それについての良否は私には今ここでは書けない。しかしその基準ははっきりさせておくべきだ。なぜならこのように抽象的な規定であると、その時々の政権等に恣意的に利用される恐れがある。例えば放射線で汚染された山の木の幹や枝を除染することを環境破壊ということで除染作業を一切しないような政権等がでてくる可能性があるからだ。実際に日本での福島第一原発事故以降に行われた日本政府による除染政策は十分とはいえないものとなっている。

2.3.1.防護に関する決定の正当化(52)
委員会は、事故から生じる全体的な状況が進展するにつれて、決定の正当性が定期的に 再評価されるべきであると考える。したがって、その正当性は、計画中または事故の対応中
Annals of the ICRP ICRP PUBLICATION 1XX Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident Update of ICRP Publications 109 and 111 本文 日本語訳(2019 年 9 月 5 日、8市民団体による仮訳)
に考慮される「一度限りの」考慮事項ではない。すでに下された決定が、最も広い意味で、 害よりも益の方が多くなされ続けているかどうかを疑問視すべきである。また、委員会は、 最善の行動方針を決定する際に、既に実施されている防護措置の有益性と欠点を考慮に入 れて、防護戦略全体の正当性に取り組むことによって、より首尾一貫した効果的な防護が確 保されると考える。多くの場合、正当化された一連の個々の防護措置による便益と被害の合 計も、正味の便益をもたらすであろう。しかしながら、いくつかの場合、特に大規模な原子 力事故の場合、補完的防護措置の追加は、重大な社会的混乱の蓄積により、有益というより も有害となる可能性がある

私の指摘
この項では最初の防護措置を行った後の追加的措置の必要性を説きつつも、大事故の場合はそれが有害となる場合があるとしている。文中最後に示した下線部分の後に、ではどうするのか?、ということが示されていないので曖昧なかたちで文章が終わっているが、下線文中の「重大な社会的混乱の蓄積」とは何を指しているのか? 「場合によっては補完的措置をとらなくていい」とは書いてないのでこちらも指摘しづらいが、この「重大な社会的混乱の蓄積」とは何を言っているのかはっきりさせないといけない。なぜならこれも時の政権等にその施策をしない口実になる可能性があるからだ。例えば福島第一原発事故後に政府は放射線測定器「SPEEDI」による測定をなかなかしなかったり、国民への放射線の情報の提供が多くの場合においてかなり遅れた。これに関して「社会的な混乱を招く恐れがあったからすぐには情報を出さなかった」といったことがいわれたがこれを信じている国民はあまりいないのが現状だからだ。つまり「社会的混乱」という言葉は時の政権等による口実にされかねない。

2.3.1.防護に関する決定の正当化(53)
より広い意味では、防護戦略は、程度の差こそあれ、事故によって状況が変化した被災 地域社会の人々の健康と生活の質を維持するよう努めるべきである。したがって、各防護措 置がもたらすだろう有益性と有害性を判断するために、各防護措置の個人的および集団的 影響を評価することが重要である。防護戦略の妥当性は、最終的には、残存被ばくのレベル と、被災者に対する健康、心理的、社会的、経済的、文化的影響、および環境に対する直接 的、間接的影響とのバランスを取ることによって判断されるべきである

私の指摘
この項では文章前半は「防護戦略はとるべき」とし、後半はその妥当性は「残存被ばくのレベルと、被災者に対する健康、心理的、社会的、経済的、文化的影響、および環境に対する直接的、間接的影響とのバランスを取ることによって判断されるべきである」としている。だが、これでは防護戦略をとらない理由がいくつでもつくれてしまう。なぜならその理由を、健康、心理的、社会的、経済的、文化的影響さらには、環境に対する直接的、間接的影響までその決定理由にあげているが、これだけの要素を考えれば、むしろ「防護措置をとらないようにするためのもの」と私などは考えてしまう。これだけ理由をあげればいくらでもやらない例をあげれそうだが一つだけ、経済的影響に対する直接的、間接的影響とのバランスについて例を書かせて頂きたい。例えば福島第一原発事故後、福島県浜通り地区を中心に食物の風評被害(実害含む)が広がった。だから政府は食物の厳重な放射能検査と出荷規制をすべきだがそれをすると福島県に経済的打撃を与えるからこの防護措置をとらなかったとする。しかしこれはICRPの規定に違反しない、となる。実際に現在の福島県における防護措置は「不十分」とする意見は多数ある。つまりこれも時の政権等によって恣意的に解釈できるものとなってしまう。また、「防護戦略」という言葉も抽象的なので、人を放射線から防護する戦略に入るもの、として私は上記のような例をあげさせて頂いた。もし、この私の指摘が検討違いであるならば、この防護戦略という意味を「各々の理由に対する直接的、間接的影響とのバランス」というものの意味と合わせて具体的に教えて頂きたい。

2.3.3. 最適化と参考レベルの使用 (80)
緊急時対応後に長期間汚染された地域に住む人々に対して、委員会は、住民の実際の線 量分布と長期間継続する現存被ばく状況に対するリスクの耐容性を考慮に入れて、委員会 の勧告した 1~20mSv の範囲内またはそれ以下で参考レベルを選択すべきであり、年間 1mSv オーダー(程度)への段階的な被ばく低減を目的として、一般的に年間 10mSv を超 える必要はないと勧告する。Publication111(ICRP、2009b)において、委員会は、1-20mSv 帯域の下方部分における参考レベルの選択を勧告した。選択された参考レベルは一般に 10mSv を超える必要はないという現在の勧告は、この立場を明確にしている。セクション 2.2.1.2で述べたように、100mSvのオーダー(程度)の全身被ばくは、被ばくした集団で見 られるがんの症例数を増加させる可能性がある。委員会は、緊急時対応中に受けた被ばく量 に加えて、復旧プロセスの最初の数年間の年間被ばく量が10mSvのオーダー(程度)であ ると、一部の被災者では比較的短期間に総被ばく量が 100mSv を超える可能性があると考 えている。したがって、そのような被ばくが数年間継続する可能性があると推定される場合 (復旧段階が始まってからの場合もある)、年間10mSv を超える参考レベルを選択すること は推奨されない。さらに、チェルノブイリと福島の経験は、年間10mSvオーダー(程度) の被ばくレベルについて、長期に継続する汚染の存在に付随する社会的、経済的、環境的な 複数の負の結果と、防護措置によって日常生活に課された数多くの制限を考えると、被災地 で持続可能で適切な生活、労働、生産条件を維持することは困難であることを示している (附属書Aおよび附属書B参照)。


私の指摘
この項ではICRPが一般的な生活における被ばく許容量を10mSv/年オーダーとしているが、一方で文章最後のところでそれでは「被災地 で持続可能で適切な生活、労働、生産条件を維持することは困難であることを示している」と書いている。これではICRPの考えていることが読んでいる方は分からない。10mSv/年で大丈夫としているが、チェルノブイリと福島における事故後の生活は困難である、と読める。現実にチェルノブイリも福島の生活も被災者に大変な苦難を強いている。

そして今まではICRPも1〜20mSv/年の閾値でより下方に向かうよう努力することを勧告してきた。だが今回のこのICRPの新しい規定は10mSv/年オーダーで、そこからの下方へ向かう努力は規定されていない。実際に10mSv/年以下の被ばくでなる病気の原因が疑われているものもあるのだから「10mSv/年オーダー」の言葉だけでは十分に健康被害を防ぐものとは言えない。だからこそ今までICRPは5mSv/年以上の被ばくによる健康は保証されないとしてきた。したがってそもそもこの「10mSv/年オーダー」の基準はおかしいし、この文章全体を読んでもICRPの念頭にある趣旨が理解できない。

以上


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